失敗が怖くて進めない

失敗が怖い、という気持ちは誰もが一度は感じたことかと思います。

「失敗は成功のもと」
「失敗してこそ成長する」
「失敗は単なる経験だ」

そんな風に、失敗を恐れるな、失敗は価値あるものだ、と伝える言葉は数多くあります。その言葉を心の中で唱え、前に進もうとする人も多くいることでしょう。

とはいえ、失敗を恐れる気持ちが悪いわけではありません。失敗を怖いと思う気持ちは一種の危機管理能力。怖いと思うからこそ、万全を期すために準備もするし、努力をすることもできます。

けれど、失敗をしたときに「恥ずかしい~~~」と、それこそ穴があったら入りたい!と思う気持ちにとどまらず、
「ああ、もう駄目だ」
「すべて終わった……」

そんな気持ちになってしまう人はやはり、失敗を恐れる気持ちが強すぎて一歩たりとも前に進めなくなってしまいます。

今回はそんな人に向けてのお話です。

失敗は崩壊

理性で考えればそこまでではないだろう、と思っていても、理不尽なまでにむやみやたらと失敗を恐れる原因は何でしょうか?

それは、そんな風に失敗を恐れる人にとって失敗は”崩壊だからなのです。

では崩壊とは「何が」壊れることなのでしょう?

まずひとつ目は「築き上げてきた自分の崩壊」です。
しかも築き上げて形作られきたのはハリボテの自分だということを知っています。

ハリボテとはどんな自分かと言うと
見た目は大きいけれど中身は小さい自分、
外見は良いけれど中身を伴わない自分、
劣等感を抱える自分、
です。

自分は人に比べて劣っている、価値がない。

そんな認識があるからこそ、自分を少しでも大きくして価値ある存在にしようとするのです。

そのために例えば価値あるものを身に着けようとします。
大人で言えば、地位・名誉・ブランド物・美貌・かっこいい彼氏
そして子どもで言えば勉強のできる優等生、誰からも好かれるいい子、親にとって役に立つ子です。

劣等な自分は生きる価値がない

自分を少しでも大きくしようとする気持ちが強ければ強いほど、劣等感も強いもの。

その強すぎる劣等感は「このままでは自分には生きる価値がない」という気持ちにつながります。

だからこそ少しでも劣等感を持たないようにしたいのですね。
劣等である証拠を目の前に出されて、誰よりも自分自身が自分が劣っていることを実感したくないのです。

失敗は、できない自分を見せつけられること。
外見だけを整えた、中身がちっぽけな自分を感じること。

それは必死に整えてきた自分が打ち壊され、自分に価値がないことを実感し、生きる意味を見失うことなんです。

であるならば、失敗をしたくないのは当たり前のことですよね。

世界が壊れる

そして更に、失敗がより大きなものが壊れることにつながる人もいます。
そんな人は「大切な人を守るのは自分だ!」と心に決めた人なんです。

自分にはできると鼓舞して大切な人を守り続けてきたのに、失敗をしでかして自分に価値がないと感じてしまったならば、大切にしたい人を守れない自分になってしまいます。

それはその人にとって生きる世界が崩壊することを意味します。

自分の守りたかった人たち諸共、地面から崩れ去り深い穴へと落ちていく感覚です。

守ると心に決めたのに、守るどころが自分の行いで大切な人たちを暗闇に突き落としたのであれば、その罪の意識は生半可なものではありません。

存在を真っ向から否定する罪を目の前にして為す術が何もなくなってしまうのです。

失敗しないようにする

失敗が崩壊につながると認識している人は、だから失敗をしないようにします。
それはつまりチャレンジしないということです。

自分が手にできるはずの幸せを、手を伸ばすことなく捨てるということです。

けれど何もしないわけにもいきません。
劣っている自分のままでいたら生きていてはいけないことも、知っているからです。

だからこそ、出来ることだけをするのですね。
その意味では多少のチャレンジはしています。ただし勝算があるときだけです。

そうやって出来ることだけしていると、人から見れば「出来ている人」に見られます。自分がそう望んで、そのようにふるまっているのでそこは望み通りではあるのですが、能力のある人間に見られるということは、その力に見合ったものを任されるようになる、ということです。

それは責任が増える、大きくなるということを意味します。

孤独が深まる

けれど責任が大きくなるということは、より大きいことを成すということ。
そしてそれは失敗をする可能性も高くなるということです。

失敗を避けて進んできたのに、
より大きな失敗をする可能性がある場所に追い込まれていくのです。

本来であればそんなときは人の助けが必要になります。
事が大きくなればなるほど、人と協力する必要が生じます。

けれど……

自分が劣っていると思っている人は、それを隠すために失敗しないようにしてきたのです。それなのに人と協力して何かを成すということは、自分が劣っていることがばれてしまう可能性が出てくるということになってしまうのです。

だからこそ

人に助けは求められず、けれど失敗することなど出来ず、
ひとり孤独に目の前の責任に立ち向かい続けることになります。

結局、運良く失敗しなかったとしても、孤独になってしまうのです。

進むべき道はどこにある?

失敗してしまったら自分が崩壊する、世界が壊れる。
けれど失敗せずに進めば重圧は大きくなり、孤独になる。
だからといって何もせずにいたら劣った自分を感じて生きる価値を見失う。

どこに進めばいいかわかりません。
一体どうしたらいいのでしょうか。

それは
・自分の中身は小さい、劣っている
・自分は守られていない、助けてもらえない、むしろ助けなくてはいけない

そんな思い込みを書き換えることです。

本来、人にはそれぞれの得意不得意がありこそすれ、誰かが目に見えて小さく劣っているわけでも、すべてにおいて誰よりも大きく優れている人が存在するわけでもありません。

それが真実なのに、
「自分の中身は小さい、劣っている」という認識が頭の中にこびりついてしまっているのです。

あまりにもこびりついてしまい、洗い落とすことができません。

そしてまた、人はお互いに支え合うものであるのに、
自分は人を助ける役目であり、人に助けられることなどない、と思っていることもまた歪んだ認識なのです。

そんな認識が生まれるのはなぜでしょうか。

それは、幼く、まだ力を持たなかった頃、
自分という存在を認められず、守ってもらえなかった経験からきています。

これは単純に親が虐待をした、ということだけではありません。
もちろん虐待は大きな原因のひとつですが、それだけではないのです。

両親が安定した関係を持ち、あたたかな空間を子どもに用意できなかったとき、子どもは自分の身の置き所を見失い、そうなったのは自分が存在する価値のない人間だからなんだと結論付け、自分で自分の命を守るために、逆に家族という場を守ろうとするのです。

そうやって子どもの心の中に作られた歪んだ認識は、簡単に修正されるものではありません。
大人になったからといって自然と消えるものではないのです。

「自分には価値があり、人に助けてもらえる。失敗したとしても、怖いことは起こらない」

それを自分にいくら言い聞かせたとしても、身体は言うことを聞かないものなのです。

だからこそ、心理セラピーというものが存在します。心にできた傷を癒し、心の底にある思い込み・認識を覆し、あたたかい世界が存在することを知るための手段です。

いくらでも失敗しよう

最初に書いたように、失敗を怖いと思う気持ちは一種の危機管理能力。
怖いという気持ちが完全に消え去ることはないでしょう。

けれど、怖いと感じながらも、自分が手にできるはずの幸せに手を届かせるためにチャレンジする。
それが人生を豊かにするために必要なことなのです。

その過程で失敗することは多くある。
けれどそれは自分が、世界が、崩壊することではないのです。

自分はけっして小さくはなく、世界はあたたかい。
それを知ることができたとき、数多くの失敗をしながらも、着実に自分の幸せのために歩を進めることができるようになります。

そんなとき、先人が残してきた言葉に初めて心から頷けるようになるでしょう。

失敗は単なる経験であり、その経験を経て人は成長する。

だからこそ、いくらでも失敗しよう。幸せをその手に掴み取るために。


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