リトリーブサイコセラピーを私が勧めるワケ

aromaセラピーと名のつくものはこの世界にたくさん存在します。直接身体に触れるもの、なにか道具を使うもの、香りや音に特化したもの……。心理療法、心理セラピーというカテゴリーに分類されるものも数多ありすぎて、果たして自分にとってどれがいいのか? 迷ってしまいますよね。

私は今、リトリーブサイコセラピーをご提供し、より効果の高いセッションとなるよう学びも続けていますが、全く異なる他のセラピーを受けに行くこともあります。そのセラピーならではの良さというものがあるんですよね。

だから興味が惹かれるものがあったのなら、あなたもいろいろと試しに受けてみてはいかが?と思うのですが、やはり私はその中でも心の問題にはリトリーブサイコセラピーを強力にお勧めしますそれは何故なのか。今回はそんなテーマで書いていきます。

我慢するしか、できなかった

まずは私の昔話にお付き合いください。

schoolあれは忘れもしない、高校1年生の3学期。期末試験の期間中で苦手な暗記モノの試験があり、最後の悪あがきに無理やり頭に詰め込んでおこうと、いつもより早起きしたのでした。けれど、何だか気分が悪い。胃がむかむかする。……ご飯、食べたくない。
そんな状態でどうにか一日を終え、寝れば治ると思っていたのですが……その後、そんな状態が長く続くことになります。

最初はいつもより早起きしたことでリズムを崩しただけだと思ったのです。けれど数日経っても治らない。市販の胃薬を飲んでも気持ち悪さは収まらない。あまりに長く続くので近所の病院で胃のCTを撮ってもらいました。結果は何も無し。なのに依然、気持ち悪い。

続いて大学病院を紹介されて今度はMRI。脳を調べます。けれど、何も無し……。

私は未だ妊娠をしたことがありませんので実際のところは分かりませんが、今思うと症状的にはつわりのような状態です。なんだかいつも胃がムカムカしててウッ!と戻しそうになって。その吐き気を堪えるため私は強く手を握りこんでいました。強く強く……ぎゅーっと……。そうやって身体を固くしてぐっと我慢していたのです。

そのため当時の私の手のひらには、爪が食い込んでつくった三日月型の赤い傷跡が途絶えることがありませんでした。

心と身体はつながっている

当時はまだメンタル系の情報など今ほど人々の身近にはなく、原因が分からないまま、ただただ我慢する日々が続きました。

原因不明の気持ち悪さを常に抱え、それでも学校に通い続け、ご飯も無理やり口に運び、いつもと変わらない日常をどうにかこなそうとする日々。当時は食事の時間が恐怖でしかありませんでした。

今思えば相当に辛かったので、さっさと音を上げてしまえばよかったのに、当時の私にはそんなことはできなかったのですね。(どうしてそうだったのか色々と書きたいことはありますが、そこは別の機会にしたいと思います)とにかく我慢の日々。

そんな中、心身症・自律神経失調症といった症状名も新聞・雑誌で目にするようになり、心の問題が身体に出ているんだろうとはボンヤリ理解したものの、だからといってどうしていいか分からない。我慢我慢我慢………。

そうこうするうちに、症状は治まっていきました。おそらく思春期の身体の成長に伴って出ていた部分もあったと思うので、時間の経過とともに改善したところがあったのでしょう。

身体は確かに楽になりました。けれど私はその後もずっと怯えていました。そう、再発の可能性に。

心のキズはどこにあるかわからない、治っているかもわからない

心の問題の難しさは、どこにその傷があるのか目には見えないところです。
その傷がどの部分にあるのか。どのくらいの大きさなのか。今はどれくらい治癒しているのか。完治したのか。そんなことは分かりません。

だから身体は確かに楽になったのに、ふとしたきっかけでまた同じことになるのではないかと、そんな不安が頭から消えるにはかなりの時間を要しました。実は同じ症状にその数年後、もう一度なってしまった、という経緯もあります。それも詳しくはまた別の機会に書きたいと思いますが、原因をはっきりつかめない状態でいると、再発の危険性というのは非常に高まります。

そこは身体の病も同じことですが、血液検査などの数値で客観的に測る指標が心の不調についてはないので、何をどう注意したらいいかも、その経過も分からないのですね。非常に厄介だな、と思います。

だから心の不調を抱える人、抱えた経験のある人はみんな手探りで、再発に怯える心を持ちながら、日々を無難に過ごそうとしてしまいます。

目に見えた不調はなくても、そんな風に不安を抱えている人はとても多いのではないでしょうか。

私もそうでした。就職して仕事に精一杯取り組む中で、充実感や達成感を得ることもでき、気が紛れている時間ももちろん多くありましたが、人生はいつでも良いときとは限りません。大小はあれどアップダウンは人生につきもの。気分が落ち込んだときに、ふっと「またああならないかな」と思うことがありました。

けれど今は、私はそんな不安を感じません。それはリトリーブサイコセラピーに出逢ったからです。

心のアハ体験

アハ体験って言葉がありますよね。「あっ、そういうこと……」とハッと気づく体験。それがリトリーブサイコセラピーにはあります。

リトリーブサイコセラピーでは現在現れている問題の大元は幼少期の頃にあると考えます。そのためたくさんの質問をすることで、今現在の問題がどういったものかを特定し、それに関連した幼少期の体験を紐解いていくのです。そうするとある瞬間気づきます。

「ああ、そうか。あのときああだったから、だから今こうなっているのか……」
そんな風に理解できるのです。

そうすると心のキズの正体が腑に落ちます。依然としてキズそのものが形として見えるわけではありませんが、「だからなのか」という気づきはとても大きいものです。そしてその気づきがあると、むやみやたらと再発に怯えることがなくなります。自分が取り組むべき問題の本質が見えるからですね。

また、リトリーブサイコセラピーはそれを理解するだけではありません。その問題の本質に潜んでいる感情・感覚を解放していくのです。

その過程で自分がどれだけのものを知らず知らずに受け取っていたのかに気づいていきます。そして本来の自分を押し殺すという選択を幼いながらに決断したこともまた、気づきます。

受け取ったものが重すぎて感情・感覚を感じないようにしたこと、子どもとして無邪気でいることを諦めたこと、心のままに求めることをやめたこと、自分はダメな存在だと思うことでやり過ごすこと。そんないくつもの決断。そうせざるを得なかった自分自身に気づきます。

すると、そうまでして生きることに頑張ってきた自分に、愛しさを感じるようになるのですよね。

そして更に、ここがリトリーブサイコセラピーの真骨頂であるのですが、その子どものころの決断を大人になった今でも持ち続けていることで受け取れるメリットまでもを明らかにしていきます。

自分で選んだからこそ、この先も自分で選べる

大人の今の問題は子どもの頃にその大元があるのですが、その子どもの頃に決めたことを今でも当たり前のように持ち続けていることは実はおかしなことなのです。

でも、それを手放すことができません。なぜなら……怖いから。
だから持ち続けることを、今の自分が選択しています。

empty feelingその事実に気づき、成長した自分には本来不都合なものでも、自分が選んで後生大事に抱え込んでいる、ということを認めてしまったとき、これは私自身が何度も体感していることですが、虚無感に襲われます。

子どもの頃から今の問題までがしっかり線でつながって見えたときに、今までなんて無駄なことをしてきたんだろう、と打ちのめされるのです。

この過程は正直、かなり辛い。
リトリーブサイコセラピーはきついセラピーだ、なんて一部では言われるそうですが、そのきつさはここにあるのではないかと思います。

でも、「自分が選んだ」というところに実は救いがあるんです。
自分で選んで今がこうなっているのなら、これから先も自分が選んで決めていける、と。

その気づきが起こったときが、自分の人生に対して、本来持っている自分自身の力を取り戻す瞬間です。

だから、リトリーブサイコセラピー

こんなセラピーは他にはないと私は思っています。
ときにはとても痛いけれど、自分の人生を振り返り、自分と向き合い、自分を知る

自分の人生を自分らしく生きるために必要なことが体感できるセラピー。
それが私にとってのリトリーブサイコセラピーです。
そしてこれが「リトリーブサイコセラピーを私が勧めるワケ」です。

あなたもどうぞ、お試しあれ。

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