私の性別は、間違いだったのかもしれない……?

あなたは自分自身の性別について問われたら、なんと答えますか?

LGBTという言葉により知られるようになったトランスジェンダー。心の性と身体の性が一致していない方。そして身体の性が男女どちらと決めることが難しいインターセクシュアルの方もいらっしゃいます。そんなセクシュアルマイノリティの方は、「フツウ」でないがために自己否定感を抱えることが多いと言われます。
(セクシュアリティについてはこちらでまとめていますのでご参照ください。 セクシュアリティ ~性の多様性を知る~

けれど「フツウ」に身体と心の性が一致していて、「フツウ」に異性が好きな「フツウ」の人も、セクシュアリティで悩みを抱えることがあります

今回はそんなお話です。

男らしさ、女らしさ

「フツウ」の人がセクシュアリティで悩みを抱える場合、多くはジェンダーに関して苦しみます。ジェンダーとは男らしさ、女らしさといった、その社会が決めた性の在りようです。

男性であったら、こうあるべき
女性であったら、こうあるべき

これは時代と共に変わっていきますが、その時代に生きる限り、これに外れると「愛されない」と感じてしまうと、外れている自分に悩むようになります

この状態は自分を取り巻く世界がまだ狭い学生の頃に感じたことがある人も多いことでしょう。「これこれこういう女の子なら男の子にモテる」なんて情報に振り回されてしまい、そうでない自分はきっとモテない、実際恋人がいない、ああやっぱり……だからダメなんだ、なんて思ってしまうのですよね。

これは徐々に徐々に、「あ、いまの私で大丈夫なんだ」という結論に至るケースも多いです。
人の好みは千差万別ですから。
男らしくなくても、女らしくなくても、それでいいと言ってくれる人に出逢ったとき、そんな悩みが一瞬で解消される人もいます。

が、解消されない人もまた、いるのですよね。

この性であってはいけない

例えば、まだ家父長制が強い地域で、望む男児が生まれず、二人目もやっぱり女の子だったら……。

「また女なの?」「どうして男じゃないの?」「男なら良かったのに」「女なら要らない」

そんな無言のメッセージが、何の罪もない産まれたばかりの女の子に向けられることがあります。無言ではなくて、はっきり口に出すケースもありますね。どうせ赤ん坊は意味が分からないだろうと思って。

けれど、言葉の意味は分からなくても、そこに込められている意図を赤ちゃんは敏感に感じ取っているんです。言葉を使えない(思考を使えない)からこそ、全身の感覚で感じ取っているともいえます。

そんな風に自分の「性」を否定されると、自分自身を否定されたと受け取ってしまいます。それは当たり前ですよね、その性はただそう生まれてきただけなのに、それを理由に責められれば、自分はここにいるのが間違っている人間だと感じてしまいます。

自分という存在を「間違い」だと認めること
そんなことは恐ろしくて誰にも出来ないことです。でも「間違いではない」とも言えないから、苦肉の策を取る場合があります。

男性を望まれているのなら、せめて男性らしくいよう。女性らしさは出さないようにしよう。

そんな風に無意識で計算して、女性が女性らしさを抑えつけて男っぽさを前面に出す人がいます。

このケースは「女は損だ」と思わされているケースでも起こります。亭主関白な夫に抑えつけられている母親を見るなど、男を立てるためにへりくだる女性(祖母や母)の姿に、「女は弱い立場で軽く扱われるんだ」と認識するのです。

また性的虐待も非常に大きな要因になり得ます。「自分が女だからこんな目にあった」「男だったら良かったのに」と思うからですね。

性的虐待については女の子だけではなく、男の子にも起こり得ますので、男性が男らしさを出すことを忌避するケースもあります

また、自分に同性の味方がほしかった母親が、男の子をあえて女の子のように扱うケースもありますね。

いずれも周囲の人間によって、「この性ではいけないんだ」と思わされています

引き返せないところに進んでしまうことも

周囲の人間によって持たされた「この性ではいけない」は、その理由が分からないまま、ただ「自分の性はおかしい」という認識になってしまうことがあります。

それが行き過ぎれば先天的にトランスジェンダーの方と同じように、自分の身体の性に違和感を持つことにもなります。「自分は本来男であるはずなのに、どうして女なんだろう」といったように。

それが強くなりすぎると性転換ということも選択肢に上がるようになります。自分の心が望む性に身体を近づけようとするのです。

けれど、それが周囲によって持たされた心が元になっていた場合、身体を変えて初めて、「身体を変えても何も変わらない」と気づかされることも起こります。

日本では戸籍に記される性を変えるには性転換手術が必要ですが、その手術を経て戸籍を変更したのに、それを元に戻す申請というのが何件かあるそうです。そのすべてのケースが上記のようなものとは言えませんが、身体を変えさえすれば何とかなる、という想いが打ち砕かれた方もいらしたのだろうと思います。

身体を変えさえすれば何とかなる。

それは「何」が何とかなるのでしょうか。

ただのわたしを受け入れて

きっとその「何」は、人に受け入れてもらえる、ということ。

人が誰しも望むのは「自分が自分のままで受け入れてもらえること」

男で産まれようが、女で産まれようが、ただそのままで自分の存在を喜んでほしい。

でもそれを望んでも得られないと思うから、だからせめて自分で出来る努力をして、それで受け入れてもらおうとするのですよね。

性転換をする、ということだけではなく、異常なまでの筋トレや、身体を壊すほどのダイエット、男らしさ・女らしさを過剰に目指した振る舞い

好きな自分をより良くしたい、という向上心ならいいんです。
けれど、

「こんな自分はダメ」から始まった努力は、ただただ辛い結果をもたらします。
その努力は決して実を結ばない。

努力しても受け入れられなければ傷つくし、努力したことで受け入れられても、その努力をし続けなければいずれ見捨てられるという思いは消えることがありません。

どこまでいっても本当に欲しいものは手に入らないのです。

本当に欲しいものは何だったのか?

それは繰り返し繰り返し、自分の心に聞いていくしかありません。
けれど繰り返し繰り返し、自分の心に聞いていけば、いずれ心は必ず答えてくれます。

そのプロセスに苦しくなってしまったときには、どうぞ専門家に頼ってみてください。

「男だから」「女だから」ではなく、ただの「あなた」でいいんです。