【 母親とは何なのか? 】

  1.  母親の役割 母子一体とは
    <キーワード> 愛着 オキシトシン 母性的没頭 母子一体 基本的安心感 基本的信頼感
  2.  母子分離の時期が来たら
    <キーワード> 母子分離 イヤイヤ期 安全基地 探索行動 見捨てられ不安
  3.  愛着の問題を抱えていると
  4.  自分自身を取り戻すために

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母親の役割

人間関係での問題や社会での生きづらさを抱えている人は、ほとんどのケースにおいて「愛着」と呼ばれる人と人との間に生まれる”絆”を結ぶ能力を築き損なっているところに原因があります。

そしてその「愛着」は他の誰よりも母親との間で築かれるものが人生を形作っていくのです。

その「愛着」を築くために母親に求められていることが何なのか、それを書き記していきたいと思います。

なぜ母親なのか?

父親でもなく、可愛がってくれる祖父母でもなく、子どもにとって、そして大人になってまで、一番重要となるのが母親との愛着です。

なぜそれほどまでに「母親」であるのでしょうか?

生命の誕生にあたっては精子を提供する父親とそれを受け入れ受精した卵子を胎内に抱えこむ母親は絶対的に必要な存在です。

唯一無二と言えばすべての存在がそうであるものの、ひとつの命にとってその半分ずつを提供する父親と母親は特別なもの、そして特に10か月以上もの長きにわたりその胎内にいて共に生きる母親は他の誰よりも特別です。

生命の誕生を胎内からこの世界に出てきた瞬間と捉えれば、父親と母親に差はなく、あったとしても人間の持つ知能によって補完できるものなのかもしれません。

けれど、へその緒という物理的にもつながる母親は一人の人間にとって一人しかいません。

そのためその母親が心理的な面だけではなく、そもそも身体的な面でも、そして更に脳はもちろんとした全身の神経系に影響を与えるという事実は、当然のことであるかのようにすべての人に受け止められることでしょう。

それだけの影響を与える存在として母親のほうも生物的にさまざまな仕組みを持っており、その最たるものがオキシトシンと呼ばれるホルモンです。

このホルモンの分泌により、母性的没頭と呼ばれる濃密な関係を、母親は子どもと築き上げるのです。

母親は乳児期には子どものことに没頭することで、子どもと一体になったかのように時を過ごします。物理的なへその緒が断ち切られたとしても、精神的に強いつながりを母親と赤ちゃんとの間に育てる時期です。この時期は大体9か月くらいまで続きます。

母子一体となることで生み出されるもの

よく言われることですが、人間の赤ちゃんは他の哺乳類に比べてほとんど自分では何もできない状態で産まれてきます。

親に完全に依存するのが当たり前の存在として産まれてくるのです。
そして特に母親は母性的没頭の力により、赤ちゃんに根気強く向き合っていくことになります。

自分を完全に丸投げする赤ちゃんを母親は受け止めます。

自分自身が何もしなくても受け入れてもらえる。
そして自分の発するものに反応してくれる。

これが愛着の元です。

その感覚が赤ちゃんに安定的に供給されることで、赤ちゃんは安心感を身体に染み込ませていきます。
これが基本的安心感と呼ばれるものです。

そしてまた、自分は愛されていると感じることで相手に対する信頼感を培います。
それはそのまま自分は愛される価値のある存在であるという自分自身に対する信頼感も生み出すのです。

この自分に対する信頼感が自己肯定感や高い自己評価につながっていきます。
そして自分を含めた世界全体に対して基本的信頼感を持つのです。

基本的安心感と基本的信頼感は人が自分らしくこの世界を生きていくために必須のものです。
それは母子一体の時期に獲得されるものであり、通常この時期にしか得られないものになります。

母子一体の時期につまづくと

母子一体の時期は赤ちゃんの脳が急速に発達するときに重なります。

つまりこの時期に何らかの問題が発生すると、その後の心理活動である人間関係のみならず、身体的健康における支障や精神的にも重大な問題が起きるなど、その子の人生を根本から揺るがすことになっていきます。

自分が拠って立つ存在の根底が、緩い泥沼のようなものです。

赤ちゃんは脳を発達させるにつれ、自分という存在の輪郭を物理的にも精神的にも作り上げていきます。

他者に皮膚を触れられることで、そこに境目があることを体感します。
誰かと目を合わせることで、そこに映る自分の姿を確認します。

そうやって自分と世界とを区別していくのです。

それが無ければ視覚としてはそこに明確な境界を捉えていても、感覚としては境目を感じられません。繰り返されるリストカットの原因は、この自分の輪郭という境目への感覚の無さとも言われます。

この状態では当然、自分がいる世界に対する信頼感は育まれません。

自分自身に対しても「自分は甘えさせてもらえるだけの価値のない人間」との認識を強めていきます。

自分を愛してくれる人などどこにもいないと、不安恐怖、そして空虚感に囚われていくようになってしまうのです。

母子分離の時期が来たら

人は安心感が身体の中に生まれると衝動が湧き上がってくるものです。大人になってからも、赤ちゃんでも変わりません。

衝動とは「こんなことをしたい! もっとこうしたい!」と突き動かされるような気持ちです。

赤ちゃんにとっては自分の周りにあるたくさんのことに興味を持ち、見てみたい、触れてみたい、試してみたいと感じる自然な欲求となります。

この衝動が湧き上がってくると、安心の場所にじっと居続けることに不自由を感じるようになります。そこで意欲が湧くのです。

自分の自由を得るために「よしやるぞ!」という意欲を持って立ち上がります。

赤ちゃんにとってはこれが「イヤイヤ期」自分の世界を作るプロセスの始まりです。

安全基地と探索行動

この「自由を得るために立ち上がる経験」は、自信の元にとなっていきますが、そうはいえども今までのぬくもりに包まれた場所から出ることには不安が付きまといます。

そのとき安心をもたらすために機能するのが母親によって築かれる安全基地です。

母親との間に築かれた愛着が身体にしっかり染み込むと、土台がしっかりとした「安全基地」が心の中に生まれていきます。基地、と名付けられているように、これは行動する上での精神的な拠点です。

基地があるからこそ、そこを飛び出して自分の世界を広げてみようとする行動が生じます。そして不安になって振り返ったときに必ずそこにあるということが安心感を生み、どうにもならなくなったときに逃げ帰る場所にもなります。

また、自分の世界を広げようとする子どもの行動を探索行動と言います。

「イヤ!」と言うことで母親の手から離れ冒険の旅に出て、けれどそう言って自ら出てきたのに心細くなって戻ってきても、それでもそこに安心がある、必ずそこに居てくれる。

そうやって探索行動の範囲を徐々に徐々に広げていくと、いずれ「離れていても安心、傍にいなくても大丈夫」という感覚が育つに至ります。

「一人でいても一人じゃない」という感覚です。

人はひとりで死んでいく、などと言いますが、人生のさまざまな局面において一人で決断しなくてはならないことはたくさんあります。そんなとき、現実にここにいるのは一人でも、完全にひとりぼっちではない、という感覚はその人に勇気を与えるものとなるでしょう。

徐々に徐々に母親の手から離れて自分の世界を作っていく、これが母子分離です。

母子分離の時期につまづくと

母子分離をうまく進められないと、人の心に残されるのが「見捨てられ不安」です。

自由を求めて飛び出したものの不安を感じて振り返ったとき、そこにあるはずのものが無かったときの恐怖は計り知れません。少しの不安が何十倍にも膨れ上がり、身体に恐怖が刻み込まれます。そして自分が飛び出したことがまずかったのだと、自分を責める気持ちにもなるでしょう。

このような経験が何度も繰り返されると「信頼した人、愛した人は自分から離れていってしまう」という不安に常に囚われてしまうようになります。

この不安は成長してもずっと身体に刻み込まれたままとなります。
例えば大人になって恋愛という密な人間関係を作ったとき、相手が自分から離れていかないか異常なまでの監視をするような行動に結びついていきます。

この不安は幼いときに身体の奥深くに刻み込まれるため、理性でどうにかしようとしても抵抗ができないのです。

「見捨てられ不安」に囚われてしまった子どもは片時も親の傍から離れないようになっていきます。

一方で、親のほうが子どもを離さない、ということも起こります。

もともと母親が愛着に傷を持っているときなどに、母親はその痛みを子どもで補おうとします。

子どもを産んだことで得た最上の幸福感。
守ってあげなければならないという使命に燃える気持ち。
無邪気な顔で全面的に信頼して笑いかけてくれることで受け取る「自分には価値がある」という感覚。

それらのものが失われるのが怖くて、子どもを手元に置きたがるのです。

このとき怖れや不安で悲し気な顔をすることによって子どもをコントロールしようとすることもあれば、「イヤイヤ」と言われ続けることで自分を否定されたように感じてしまい、それを言わないように大人の力でもって抑え込もうとすることもあります。

いずれにしろ、そのような振る舞いを受け続けた子どもは相手の顔色を窺って自分の振る舞いを決めるようになり、自分の欲求を表に出すことなどできなくなります。

愛着の問題を抱えていると

今まで見てきた母子の関わりはおおよそ3歳くらいまでには、その形が決まってきます。

つまり3歳という物心もあまりついていないときに培われたものが、その後の一生の土台へとなっていくのです。

もしこの時期に適切に愛着が育まれなかった場合、何よりも「自己否定」が子どもの中に色濃く残されることになります。

これがあまりにも強く身体に刻み込まれると常に意識から離れない状態となりますが、身体の奥深くに沈み込んでしまうこともあります。

自己否定が常に意識にある状態では、人と関わることはあまりにもハードルが高く、日々自分を維持すること自体が難しくもなります。

「自分なんか生きていてはいけない」「自分はなんて価値のない人間なのか」

そんな思いによって世界の闇の中に沈み込む人生を送ることになります。

自己否定が身体に巣食うと

身体の奥深くに沈み込んだ場合、その影響がその後の生き方にどのように表れるかというと大きく2パターンがあります。

・頑張りすぎるほど頑張って完璧を目指す
自分の中に巣食った自己否定という穴を自分で埋めるために、自分自身が頑張る、という行動に出ます。いわゆるドライバーを効かせた状態です。
人に認められるような結果を出すことに自分の生活のすべてを注ぎ込んでいきます。

→ドライバーについてはコラムに書いています

・誰かに甘え、寄り掛かる

人が受け入れてくれれば穴が埋まる、と考えている状態です。受け入れてもらうために人に逆らうことのない従順な自分を作り上げます。その一方で関係が深くなると、際限なく自分の欲求を満たしてもらうことを求めるようにもなります。

どちらの手段でもって世の中を渡っていくにしても、その手段が通じなくなってしまったとき(仕事における失敗や恋愛関係の破綻など)には身体に巣食った「自己否定」が頭をもたげ「死にたい」という気持ちまで行き着くことがあります。


なぜ自分はこうまでして頑張ってしまうのか?

なぜ自分はもう修復できないと分かっているのに縋ってしまうのか?

なぜチャレンジをしようという気持ちになれないのか?

なぜいつも「どうせ自分なんて」と思ってしまうのか?

なぜ生きていることだけで辛いのか?


それは唯一無二の存在である母親との絆が結ばれなかったことに原因があるのかもしれません。

自分自身を取り戻すために

乳児期に大切な心の発達につまづくと、それはその後の人生に大きく後を引くことになります。その影響があまりにも大きいことは、セラピーの世界に入って初めて知ったことです。

そのつまづきは、子どもがその一生を掛けてずっと抱えていかなければならないのでしょうか。

もちろん、そんなことはありません。適切な時期に得られなかったものでも、それを取り戻すことは何歳からでも可能です。

けれどそれは、必要な時期に適切な行動がとれなかった親が為すべきことではありません。

自分の一生を掛けて、自分が為すべきことです。

人を愛する最たる存在である母親が、自分という子どもを本当には愛してくれていなかったと思えば、恨む気持ちも出てくることでしょう。

その不幸な事実に絶望を覚えるかもしれません。誰かにどうにかしてもらいたい気持ちも分かります。

けれど、もう既に赤ちゃんではないのです。不器用ながらも自分の足で自分の人生を歩いてきているのです。そのあなたの人生を立て直していくのは、他でもないあなた自身が為すべきことなのです。

 

大丈夫。あなたがあなた自身を諦めなければ、それは必ず成し遂げられます。

そのために意識するポイントは、次のようなことです。

安全基地を作り出す

母親とのやりとりのなかで自然に作られるはずの安全基地がないことが、人間関係における不安やストレスを倍増させます。

まずは自分にとっての安全基地を手探りながらも作り出していくことです。

あなたがいま生きているのであれば、何らかの形でつながった誰かがいるはずです。不完全ながらも、けれど他とは少し違うつながりを作れた相手がいるはずです。そんな存在を自分の人生から意識的に探し、いまの自分にそれを与えていくのです。

いきなり深いところまでつながらなくてもいい。自分にとっての安心がどういうものなのか、探りながらでいいのです。

自分の想いを言葉にする

心の中の言葉は、実はよく意識できているようで、できていないもの。
自分の想いを知るために紙に書き出してみるのはお勧めです。

そのとき出来ればペンを持って自分の手と腕を動かしながら書くといいでしょう。パソコンやスマホなどで打ち込むのもいいですが、自分で書き出した文字というのは、それそのものが想いを持っています。字の大きさや字の形、筆圧なども気づきの一助になります。

最初は自分以外の誰かを責める言葉であっていい。たくさんたくさん吐き出すことで、いずれ自分がどうしてほしかったのかが分かるようになります。何が不満なのかではなく、何が自分を本当に満たしてくれるものなのかが分かってきます。

不満の裏返しではなくて、自分の心が素直に欲するものです。この違いは伝わるでしょうか。不満なことの正反対が満たされれば幸せになれるとは限らないのです。何かの否定ではない形で自分の本音を見つけていきます。

自分で自分を大切にする

自分の想いに気づき始めたら、イメージの中でそれを受け止めてあげます。いわゆるインナーチャイルドとの会話です。泣き叫び、怒り狂う自分かもしれません。そんな自分をただただ受け止めます。

イメージの中なので、どんな手段を取ってもいいのです。ただし自分を傷つけるイメージだけはご法度。ただ優しくあたたかい光で包んであげるだけで構いません。

やがて自分を満たしてくれるものが何なのかが分かったら、それをイメージの中で自分にしてあげてください。抱っこされたいと望んでいたら、大人の自分が子どもの自分を優しく抱き上げているイメージをしてみるといいのです。

そうやって自分が大切にされるという経験を、自分で自分に与えてあげるのです。

 

そして、心理セラピーも選択肢のひとつとして考えてみてください。心の柔らかい部分に誰かに寄り添ってもらうことはとても重要な体験ですが、知識を持った相手であることが望ましいのは間違いありません。

あなたがあなた本来の人生を取り戻していくことを願っています。

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